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しみじみ、奈良。

3日、奈良でコンサートだった。やっと天気が回復して、新緑の五月を感じることができた。それにやっぱり、東京より奈良のほうが、緑が元気のような気がする。3日は、「憲法記念日」。3日にコンサートをすることは、私の音楽活動にとってもとても意味のあることだ。それに今年は、日本国憲法60回目の誕生日。いろいろなところで講演や集会があるので、コンサート主催者は集客のことがとても心配だったらしい。憲法記念日に集会などがたくさん行われることはとても良いことだけれど、やっぱり集客のことは気になるものだ。でもおかげさまで、驚くほどたくさんの方に来ていただいた。
奈良で、私は、人生というものは過ぎてしまえばあっという間のことだな~と、しみじみとした気持ちになってしまった。そして、これから先の長さが、今までに比べるとずっと短い年表みたいなものが、見えてしまった。奈良での思い出がよみがえってしまったせいなのだろうが・・・。小学校の頃、家族3人で、奈良を訪れたことがあった。夏だった。白いレースのワンピースに帽子姿で、鹿におせんべいをあげる私の写真が思い出された。一人っ子の私は、なに不自由なくわがままいっぱい。でも、どの写真にもほとんど笑顔がないということは、威張りくさっていて、あまり笑わない子だったのだろうか。奈良旅行後まもなく、父は胃がんに倒れた。私が小学校6年の冬だった。中学3年の春、修学旅行は京都、奈良。奈良の宿泊先に、何の連絡も無く突然、熱海でがん療養中だった父が訪ねてきた。私が奈良にいるならと、自分も旅行をと思ったのだろう。驚かせもしたかったのだろう。でも、思春期の私にとって、がりがりに痩せてしまっているがん患者の父の訪問はあまり嬉しくなかった。「いやだな~」という感情がわいてしまった自分の複雑なおもいを、今でも忘れることができない。そして、その年の秋、父は亡くなってしまったのだ。私は、奈良での自分のおもいと父への申し訳なさを文章に書き、学内の雑誌に掲載された。15歳だった私の、父への供養のようだった。父が亡くなってから私は、俄かに、明るいキャラに変身しようと努力した。心の中がいくら暗くても、落ち込んでいても、いつも明るく、楽しく、元気な人。だから、それからの私の写真はいつも笑っている。
しみじみとした気分になった奈良だった。時間と仕事に追われ、先のことばかり考えている毎日。いつの間にか、過去という長い道ができていることを感じることもなく、日々を積み重ねてしまっている。今の自分と向き合ってばかり・・。でも、きっと、私が曲をつけ歌っているさまざまな詩は、私の今までがいっぱいつまっているにちがいない。確かに、そう思える。
何だか、妙に父に会いたい気分だ。


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